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夜のピアノの部屋で、黒いベルベットのドレスの女性がグランドピアノの鍵盤に片手を置いて微笑み、ピアノ椅子のそばで上半身裸の男性がうつむいてひざをつくイメージ(男性の顔は写っていない)

官能小説

ページをめくるたび、主導権を預けていく。

連載 調律される夜 第1話

調律される夜 第1話「そのラ、低いわ」

18歳以上向けの官能小説(フィクション)です。PR 本文に広告リンクはありませんが、このサイトにはアフィリエイト広告が含まれます。方針はPR明示へ。

あらすじ:ピアニストの夢を諦めて十五年、音は合わせられても自分の中は何も鳴っていない調律師・久住遼(37)。葉山の古い洋館でベーゼンドルファーを調律していると、持ち主の元ピアニスト・志摩冴子(43)が、誰にも指摘されたことのない微かなずれを言い当てる。背後から重ねられる手、床に膝をついたまま命じられる「動かないで」。帰り際に渡された封筒には、ルールと合図の言葉が書かれていた――年上の彼女に少しずつ調律されていく、M男向け長編の第1話です。

シチュエーション:#長編連載・#年上お姉さん・#ドS・#焦らし・#言葉責め・#M男・#ピアニスト・#再生
約4,348字・読了目安 約9分/登場人物は全員成人・同意のうえのフィクションです。

調律師という仕事は、ずれを聴く仕事だ。

 四百四十ヘルツと四百四十一ヘルツの違い。弦一本ぶんの、ほんのかすかなうなり。久住遼は十五年、それを聴き分けて食べてきた。三十七歳。横浜の楽器店の調律部門に勤め、一日に二台、多い日は三台のピアノを合わせる。

 ずれは聴こえる。他人のピアノのずれなら、いくらでも。

 自分の中で何が鳴っていないのかだけが、もうずっと、よくわからなかった。


 十月の午後、葉山の坂道は海の匂いがした。

 蔦の絡んだ古い洋館の呼び鈴を押すと、出てきたのは黒いパンツスーツの若い女性だった。三十をいくつか過ぎたくらいか。表情の少ない顔で、「早瀬です」とだけ名乗る。

「冴子さんは奥に。ピアノのある部屋です」

 廊下の床板が、歩くたびに小さく鳴った。突き当たりの扉の向こうは天井の高い部屋で、窓の外に海が見えた。中央に、黒いベーゼンドルファーが一台。七十年代のものだろう。艶の奥に、長く弾き込まれてきた楽器だけが持つ鈍い光がある。

 その横の一人掛けのソファに、女が座っていた。

 黒いハイネックのニットに、くるぶしまでの黒いスカート。肩のあたりで切りそろえた髪に、一筋だけ銀色が混じっている。唇は深い赤。脚を組んだまま、こちらを見上げた目が、値踏みするようにゆっくり細くなった。

「志摩です。今日はよろしく」

 低い声だった。部屋の空気が、その声の高さに合わせて沈んだ気がした。

 志摩冴子。名前は知っていた。十年ほど前まで、ヨーロッパを中心に弾いていたピアニストだ。四十三歳だと、依頼票の備考欄に事務の字で書いてあった。どうしてそんなことを書くのかと思ったが、本人から「年齢を聞かれるのが面倒だから先に書いておいて」と言われたらしい。窓口の欄の秘書・早瀬灯にも、同じ理由なのか「三十一歳」と添えてあった。

「前の調律師さんが引退されたので、今日から担当させていただきます。久住です」

「そう」

 それきり、冴子は何も言わなかった。


 作業を始めて、すぐに気づいた。

 見られている。

 冴子はソファから一歩も動かない。本を開くでも、スマートフォンを触るでもなく、ただ、こちらを聴いていた。ハンマーでピンを回す音、鍵盤を叩く単音、弦のうなりが消えていく瞬間。そのすべてに、彼女の耳が向いているのが、背中でわかった。

 一時間ほどで中音域を合わせ終え、基準のラを鳴らした。

 ポーン、と澄んだ音が天井へ上っていく。きれいに合っている、と思った。

「そのラ、低いわ」

 手が止まった。

「……四百四十一で合わせています。前の調律師さんのカルテどおりに」

「知ってる。でも、低い」

 冴子が立ち上がった。ヒールのない室内履きが、床板をほとんど鳴らさずに近づいてくる。背後で、ふわりと香りが動いた。白粉と、乾いた木のような匂い。

「もう一回、鳴らして」

 鳴らす。うなりは聴こえない。少なくとも、遼の耳には。

「聴こえない?」

「……はい」

「でしょうね」

 背中のすぐ後ろで、冴子が小さく笑った。

「あなた、音は聴いてる。でも、聴こうとしてない。合っていればそれでいいと思ってる人の音」

 言い返そうとして、言葉が見つからなかった。

「触るわよ」

 背後から短く言われて、遼は鍵盤を見たまま、小さくうなずいた。

 チューニングハンマーを握る右手に、冴子の手が重なった。

 ひやりとしていた。細い指が、遼の指の上から、ハンマーの柄をそっと包む。

「力、抜いて」

 耳のすぐ後ろで声がした。言われるまま、指の力を抜く。冴子の手が、ほんのわずか、時計回りに傾いた。髪の毛一本ぶんにも満たない角度。

「もう少し」

 さらに、わずかに。

「……そこ。止めて」

 止めた。

 止めた、というより、体が勝手に止まった。その一言で、腕の筋肉がぴたりと固まったのだ。命令に従うことに、自分の体がこんなに素直だとは知らなかった。

「鳴らして」

 ラを弾く。

 さっきと同じ音のはずだった。なのに、違った。音が、部屋の隅々まで、まっすぐに届いていく。濁りがない。体の内側まで、すっと通っていく。

「ね」

 冴子の手が離れた。重なっていた指の甲に、ひやりとした感触だけが残っている。

「最後に誰かに『止めて』って言われたの、いつ?」

 不意の問いだった。

「……覚えてません」

「そう」

 彼女の視線が、ハンマーを握ったままの遼の左手に落ちた。

「その手」冴子は、遼の指先を見ていた。「弾いてた人の手ね」

 息が止まった。

 指の長さ、関節の形、爪の切り方。わかる人には、わかってしまうのだろう。十五年前まで、遼は毎日八時間、鍵盤の前に座っていた。音大の最後の年、大事な試験の本番で指が止まり、それきり、弾けなくなった。

「……昔の話です」

「やめたの?」

「才能がなかったので」

「誰がそう言ったの」

「……自分で決めました」

「そう」冴子は、面白がるでもなく言った。「自分の音を出すのをやめて、他人の音を合わせる側に回ったのね。それで、どこにも行けなくなった」

 胸の奥を、細い針で突かれたような気がした。

 あの日から、何かを欲しがるのをやめた。欲しがらなければ、失敗もしない。誰かに選ばれなくても、傷つかない。恋人ができても、行き先も食べるものも相手に決めてもらって、黙ってついていった。そのうち、どの人も、少し寂しそうな顔をして離れていった。

 言い返せなかった。言い返したいことが、自分の中に何もなかったからだ。

 それから十五年。朝起きて、ピアノを合わせて、帰って、眠る。合わせたピアノはきちんと鳴る。お客さんには礼を言われる。なのに、自分の中では、何ひとつ鳴っていなかった。

「……すみません。仕事に戻ります」

「どうして謝るの」

 冴子は首をかしげた。それから、ほんの少しだけ声を落とした。

「続けて。私が『いい』って言うまで」


 残りの音域を合わせるあいだ、冴子はもうソファに戻らなかった。

 ピアノの曲線にもたれて立ち、腕を組んで、遼の手もとを見下ろしていた。一音合わせるたびに「いい」とか「まだ」とか、短く言う。その「いい」が欲しくて、遼はいつのまにか、十五年で一度もしたことのないくらい、耳を澄ませていた。

「最後に、ペダル」

 右のダンパーペダルを踏むと、かすかに軋む音がした。遼は床に膝をつき、ピアノの下にもぐり込むようにして、ペダルの支柱を覗いた。

「私が踏むから、どこが鳴ってるか見つけて」

 頭の上で、冴子が椅子に腰かける気配がした。ふいに、すぐ横に彼女の足が下りてきた。室内履きを脱いだ、黒いストッキングの足。爪先がペダルにかかる。

 ゆっくり踏み込まれる。軋む。離される。また、踏み込まれる。

 その足首が、膝をついた遼の肩から、わずか数センチのところにあった。

「どこ?」

「……もう少し、奥です」

 身を乗り出そうとしたとき、ペダルから離れた爪先が、遼の肩にそっと乗った。

 軽い。重さと呼べるほどの重さはない。それなのに、体が動かなくなった。

「動かないで」

 上から、声が落ちてくる。

「音を聴いて。軋むのは、踏み込む瞬間? それとも、戻るとき?」

 もう一方の足が、ペダルを踏む。肩に乗った爪先は、そのまま。遼は床に膝をついた姿勢で、息を詰めて、耳だけを澄ませた。

 ぎ、と。戻るときに、鳴った。

「……戻るときです。スプリングの受けが、少しずれてる」

「正解」

 肩の上で、爪先がほんの少し動いた。撫でるのとも、押すのとも違う。上出来、とでも言うみたいに、一度だけ。

 それだけで、背骨の奥が、じんと痺れた。

 爪先が離れていく。遼は、すぐには立ち上がれなかった。膝の下の床板が冷たい。顔が熱いのを、ピアノの下の暗がりが隠してくれていることに、ひどく安堵していた。


 ペダルを直し終えると、冴子は鍵盤の前に座った。

「確かめるわね」

 弾きはじめたのは、遼の知らない曲だった。ゆっくりとした、低音から始まる曲。一音目が鳴った瞬間、部屋の空気が変わった。さっきまで自分が合わせていた楽器が、別の生き物みたいに呼吸を始める。

 遼は壁際に立ったまま、動けなかった。

 音が、体の中に入ってくる。ずっと閉じていた部屋の窓を、一枚ずつ開けられていくように。胸の奥の、自分でも忘れていた場所が、かすかに共鳴している。

 最後の和音が消えるまで、冴子は鍵盤から指を離さなかった。

「いい調律」

 振り向いた彼女が言った。

「ピアノは、もう合ってる」

「……ありがとうございます」

「でも」冴子は立ち上がり、遼の前まで来た。目の高さは、遼のほうが少しだけ上だ。それなのに、見下ろされている気がした。「合ってないのは、あなたのほう」

 何か言わなければと思った。言葉の代わりに、喉が小さく鳴っただけだった。


 帰り際、玄関で靴を履いていると、冴子が白い封筒を差し出した。

「来月じゃなくて、来週の金曜。夜の七時」

「え……でも、調律はもう」

「ピアノじゃないわ」

 封筒を受け取る指先に、もう一度、彼女の指が触れた。

「嫌なら来なくていい。来るかどうかは、あなたが決めて。私は、決めてあげない」

 扉が閉まる直前、早瀬という女性が廊下の奥からこちらを見ていた。表情は、相変わらず読めなかった。


 帰りの電車は空いていた。

 電車が逗子を出たあたりで、遼はようやく封筒を開けた。中には、厚手のカードが一枚。万年筆の、細く尖った字だった。

〈調律の約束〉

一、ここでは、私の言うことを聴くこと。 二、嫌なことがあったら「ラ」と言うこと。それで、全部止まる。基準の音に戻るの。   声が出せないときは、鍵盤の真ん中のラを二度鳴らすこと。それも同じ。 三、来るかどうかは、あなたが決めること。

 ラ。

 声に出さずに、唇だけで形をなぞった。今日、何十回も鳴らした音。彼女に「低い」と言われた音。

 三つ目の一文を、何度も読み返した。来るかどうかは、あなたが決めること。

 十五年間、何ひとつ自分で決めてこなかった。決めずにいれば、何も間違えない。何も欲しがらなければ、何も失わない。そうやって、音の鳴らない部屋に閉じこもっていた。

 なのに、あの人は「決めてあげない」と言った。言うことを聴け、と命じておいて、その入口だけは、こちらの手に預けたのだ。

 肩に、まだ爪先の軽さが残っている気がした。「止めて」の声で固まった腕。「正解」の一言で痺れた背骨。思い出すだけで、指先がかすかに熱を持つ。怖い、と思った。それ以上に、もう一度あの声で止められたいと思っている自分が、怖かった。

 窓に映る自分の顔が、少しだけ知らない男に見えた。

 鞄から手帳を出して、来週の予定を確かめようとした。開いたページの金曜日の欄に、もう小さな丸がついていた。いつ書いたのか、思い出せなかった。

 丸の横に、自分の字で、小さく「19:00」とあった。

(第2話「ラの約束」へつづく)

(この作品はフィクションです。登場人物は全員成人で、作中の行為はすべて同意のうえで行われています。実在の人物・団体とは関係ありません。)

このシチュエーションが好きな人へ

年上の女性に音のずれや隠してきた過去を見抜かれ、「止めて」の一言で体が止まってしまう感覚や、触れるか触れないかの距離で主導権を預けはじめる予感が刺さった人へ。近い空気の音声作品を、作品の整理ページへの内部リンクで紹介します。

シチュエーションの背景や選び方は、こちらから:

よくある質問

Q. この小説はどんな人に向いていますか?
A. 年上の女性に少しずつ主導権を預けていく過程を、連載でじっくり味わいたいM男向けです。第1話は出会いの回で、激しい責めより「見抜かれる」「命じられて動けなくなる」予感の甘さを中心に描いています。
Q. 登場人物は成人ですか?同意はありますか?
A. 登場人物は全員成人です(主人公は三十七歳の調律師、相手は四十三歳の元ピアニスト)。この先の関係は、作中で二人が決める約束と、いつでも全部止められる合図の言葉「ラ」(声が出せないときは鍵盤の真ん中のラを二度鳴らす)を前提にしたフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
Q. 全何話の予定ですか?
A. 全12話の予定です。出会い(予感)から、甘い主従の日々、すれ違いと限界を経て、主人公が自分の言葉で彼女を求められるようになるまでを描きます。

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